1998年から2002年の間、私は2000年の某社会制度の開始にかかわる仕事に携わっておりました。それこそ休日返上で、昼夜を問わず勤務しておりました。ほんと大変でした💦
そこに現れたのが1999年入社の新人、HM、NH、ATの3名でした。トリはATにになります。
ATは北海道小樽出身の才女で、ご両親ご兄弟ともに薬剤師という、まさにザ・ロイヤルファミリーのサラブレッドなのでした。
また、ATは剣道の達人でもあり、当時、すでに4段の腕前でした。もうどのくらい強いのかも想像もできません💦(今は何段なのでしょう💦)
事実、その長身から繰り出すATの面打ちは、手加減したつもりが見事小学生の面、それも後頭部を直撃し、その小学生を泣かせてしまったそうです。(だめでしょ泣かしちゃ💦)
そんなATが我々のヘナちょこ国家プロジェクトを救ってくれたのです。2000年4月稼働予定のシステムが相変わらず不安定で、2000年1月時点で並行して稼働する仮の救済システムの開発を決断しました。
その救済システムの中心がATだったのです。たった3か月で救済システムを開発してくれて我々の窮地を救ってくれたのです。
結局、仮の救済システムは2000年9月まで稼働しました。ATが居なかったらどうなっていたか。今思ってもぞっとします。
この事例を聞きつけた愛知からも救済要請があり、ATは東京、神奈川、愛知3県の窮地を救ってくれたのでした。20年後偶然に愛知のお客様にお会いする機会があったのですが、その時も「ATさん元気ですか?」と。20年経ってもまだ憶えててくれたんですね。凄過ぎます。
その後ATは、引き続き我々をサポートしてくれていたんですが、退職して、大学に入り直して、薬剤師を目指したいというのです。
尊敬するご家族と同じ道を目指したいそうで、こうなると応援しようってことに誰しもなりますよね💦
私も当然そう考えました。が、こんな逸材を手放して、ほんとに後悔しないのかと思い、素直に「やめないで!」と伝えました。
こんなことを言ったのは後にも先にも彼女だけでした。結局覆るはずもないのですが、正直な気持ちはATへの感謝の裏返しで、ATも嬉しく思ってくれたそうです。
そんなATの送別会はものすごい人数が集まって来ました。65人も集まったそうです。誰もがATの退職を惜しみ、慰労したのでありました。幹事は直属の上司のMIと、ATの愛弟子AN(今年も新人が入ってきた~第二弾 栃木編!で披露。出身大学も一緒)で、渾身の送別会を企画しました。
送別会は深夜まで続きました。後は若い仲間に任せて、雰囲気を壊さないよう密かに抜け出したMI。ここまではかっこよかったのですが、帰宅途中、バランスを崩して転倒、したたか胸を打ってしまい、しばらく動けなくなってしまいました💦
後で判ったのですが、あばらにひびが入っていたそうです💦(痛そ~)
翌日朝一の飛行機でATは故郷の小樽に帰省したのですが、ATが小樽に無事到着したころ、MIは自宅の神奈川にたどり着いておりませんでした💦
まさに命がけの渾身の送別会となりました。
その後、ATは薬科大学に編入、卒業後国家試験にもパスし、横浜にある総合病院の入院病棟で、薬剤師として勤務しました。有言実行。絶対に真似できませんよね💦
ATをはじめHM、NHも仕事だけでなく、プライベートでも、飲み会やバーべQ、ビートルズライブと本当にあれこれ遊んでいただきました。楽しい思い出もたくさんあります。
へなちょこ国家プロジェクトが何とか窮地を乗り越えられたのも、知識的にも、体力的にも、精神的にもHM、NH、ATの支えがあったからなんです。
献身的な仕事っぷりに感謝しかありません。
改めて・・・ありがとう新人達😭😭😭
おしまい。


