1998年から2002年の間、私は2000年の某社会制度の開始にかかわる仕事に携わっておりました。それこそ休日返上で、昼夜を問わず勤務しておりました。ほんと大変でした💦
そこに現れたのが1999年入社の新人、HM、NH、ATの3名でした。当時はシンクタンクブームで、当社も銀行系情報処理会社から銀行系総合研究所に様変わりした時でもありました。
会社名が変わっても会社の中身が変わるわけではありませんが、このような優秀な人材が入ってくるとなると話は変わってきます。まさに「新しい血」ですよね。
この「新しい血」が、くたくたのそれこそ「ドロドロ血」の我々を救ってくれたのです。まずはHMです。
国家プロジェクトも運用テストフェーズに入っており、どうにも言うことを聞かないシステムに対して、必死で取り組んでいました。そのような状況下で、新人ながらもHMは、もはやローテーションの一角になっており、なくてはならない存在になっていたのです。ほんと彼が居なかったらと考えるとぞっとします💦
「有能な新入社員をこのようなプロジェクトに巻き込んでしまい申し訳なかった。もっと実のある仕事を💦」なんて後から言える台詞で、当時の献身的なHMの働きぶりは必要不可欠なのでした。
そんなHMがある日、
「あのぅ。ちょっと相談したいことがあるんですが。」
いよいよ来たか~。てっきり仕事に関するクレームだ!とビビった私は「だよね。分かった。まずは話を聞かせてくれ」と緊急面接。
「毎回徹夜明けに、MIさんが誘ってくれて牛丼を食べに行くのですが、いつも遠回りするんです💦」
「良かったぁ。そんなことか」と胸をなでおろす私。即MIに厳重注意し、事なきを得たのでありました💦
またある日、夜を徹しての作業。そろそろ外が白々としてくる時刻に、
「村田さん!大変です!トイレでMIさんが大変なことに!」
てっきり転倒したんだと思い、駆けつけると、なんとMIが立ったまま寝ているではありませんか!人間限界まで仕事するとここまで行っちゃうんですね💦
とは言え、転倒リスクはあるし、早い社員は出社して来て騒ぎになっちゃうので、あわてて救出しました。そうなんです。HMは仕事だけでなく、MIの名誉まで守ってくれたのでした💦
その後、HMには様々なプロジェクトに参加してもらいました。中でも、後の大きなビジネスに成長する某医療系研究会の事務局をやることになり、その対応で顧客先に常駐することになりました。
「この事務局業務を乗り切るためには、やはりHMの力が必要だ。」と考えた私は、「HMを本業務に参画させたい。」という稟申を行うことにしました。
人事のことなので、残業して人気の少ないオフィスで渾身の協議書を作成したのです。
「よし!これでなんとかHMをプロジェクトに参画させることができそうだ!」
と、ここまでは良かったのですが、気が緩んだ私は、事もあろうにその協議書をプリンターに置いたまま帰宅してしまったのです💦
翌朝、協議書を回収するために、朝一番で出社すると、すでにHMが出社してるではありませんか!チャンスだと思った私は、
「実は、ある業務に参加してもらいたくて、今日上申するんだが、内容について事前に説明させてもらえないか。」
するとHMが、
「分かりました!一緒に頑張らせてください」と。
「ほんと!!!ありがとう。それにしても、説明もしてないのに一つ返事。なんて良いやつなんだ!」すると、
「こんな書面をプリンターに置いたまま帰らないでくださいよ~」ですって。も~懲罰ものですね💦
この事務局業務もHMのお陰で何とか乗り切り、予定通り、ビジネスは当部の主力商品に発展して行きました。
その力量を買われ、HMは本部の企画部門に栄転し、各部を指導する立場になったのですが、そこで病に侵され、若くして帰らぬ人となってしまいました。
そんなHMの記憶は薄れることはありません。いつもどこかで応援してくれてるような気がします。
毎年MIと墓参りに行き、墓前に手を合わせています。
良い奴だったなぁ。
改めてご冥福をお祈りします。


