1998年から2002年の間、私は2000年の某社会制度の開始にかかわる仕事に携わっておりました。それこそ休日返上で、昼夜を問わず勤務しておりました。ほんと大変でした💦
当時の部署は、戦友MI、SN、KOをコアに男性で構成されておりました。ここでは一番頼りになったMIについて、ご紹介したいと思います。
MIには精神的にも体力的にも支えていただきました。彼が居なければ、この仕事はとても乗り切れるもんじゃありませんでした。船で言えば副船長です。
仕事は長丁場で各社員に疲労が蓄積していました。ある日、突っ走るばかりの私に、珍しくMIが強く進言してきたのです。
「村田さん。このままではみんな共倒れになってしまいます。少し休ませましょう!」
「そうか。確かに皆疲弊してるな。よし分かった!今日は残業なしで皆帰そう!」
ということで、関係部署とお客様に調整しその日は早帰り日に。残業なしの朗報にメンバー全員大喜び。MIの言うとおりにしてよかった!と思っていると、MIもいそいそと帰り支度をしているではありませんか!
「君は帰っちゃダメでしょ!俺と一緒に残るんだよ!俺一人になっちゃうじゃない!」
するとMI。「ですよね~」
だって。まったく油断も隙もありません。とは言え一番頑張ってるMI。今度はメンバーがMIを早く返そうという機運に。そしてその当日、定刻になってもまだウロウロしてるMIに。
「も~、皆の好意なんだから、早く帰んなよ~」
「もうすぐ帰ります」とフラフラ状態のMI。
駅前の中華で一杯やって無事帰路につくMI。この一杯が命取りに💦
そして翌朝。
「どう?ゆっくり寝れた?」
「それが・・・。寝れたことは寝れたんですが・・・」と歯切れの悪いMI。いろいろ情報を集めてみると。最寄りの西葛西駅で東西線中野行きに乗ったまでは良かったのですが、正規ルートの九段下で乗り換えられず、気が付いたら行徳駅のベンチに居たというのです。
西葛西乗車→中野折り返し→西葛西乗り過ごし→行徳駅の長旅で乗ってるだけで90分かかるのです。行徳で中野方面のベンチに居たというのですから、何とか帰ろうとしてたんでしょうね。行徳で力尽きたと推測されます💦
この先も、MIは数々の武勇伝を残すのでありました。
実は今年の4月。戦友MIは、最愛の奥様を、病でなくされました。あまりにも早いご逝去の報に接し、言葉もありません。謹んでお悔み申し上げます。


